アンティーク恋噺その1
マスタード・ポットの蓋が微妙に丸くない部分があって、それが生まれた背景にこんなストーリーがあるんじゃないかと勝手に想像して小説仕立てにしてみました😆
これ、マスタード・ポットを購入した生駒のアンティークショップの店主さんのリクエストがきっかけでインスタグラムにも投稿したのですが、せっかく書いたのでこちらでも掲載させていただきます😊🎶
町一番の製陶工房Ⅾ社のアトリエは、目抜き通りに面して大きな窓がついていた。そこからは、斜向かいの食料品店の大店がよく見えて、多くのお客に混じって懸命に働く髪の長い青年の姿が見てとれる。その、よく働く体の動きに応じてなびくプラチナブロンドの髪はいつ見ても涼やかで、彼の働きぶりに反していつだって優雅さをまとっていた。
Ⅾ社の看板娘、ジャンヌはアトリエに出入りしているどのの職人よりも手先が器用で、最近はずっとマスタード・ポットの成型を担当している。上部が細っこくくびれた、梨にも似たその優美な姿は、ジャンヌの祖父の代から変わらない、Ⅾ社のトレードマークともいうべきシルエットで、その上に薄い同素材の蓋をのせるという体裁であった。マスタード用スプーンを常に入れられるように、ジャンヌが蓋に穴を穿つことを提案し、それが採用されたことから彼女は19歳の若さで成型の総責任者に抜擢されていた。
20世紀に入り、電灯が普及したせいで、仕事は朝早くから夜遅くにまで及んだ。ジャンヌの心の支えといえば、窓の外から見える青年の姿くらいであった。
私の作ったマスタード・ポットに入ったマスタードが、あの店で売られている。
ジャンヌが毎日朝から晩まで休みなくポットを作り続けられるのは、その事実があるからだ。大きな店だから、マスタード一つとっても品ぞろえは多岐にわたる。名も知らない、あの青年が一番好きな味のマスタードはどれなのだろう。
蓋は瓶と違い、その薄さから細心の注意を払って形作らなければならない。ジャンヌは息をひそめて指先で粘土を蓋の形になるように、丸くまるく、形を整える。ふと、窓の外を見た。
大きく開け放たれた窓の向こうで、あの青年が同僚らしき男性と談笑しているのが見えた。思わず指先の動きを止め、ジャンヌは耳をそばだてた。話はどうやら好みのマスタードの味についてであるようだ。
「やっぱりマスタードは酸味が大事だと思うんですよ。ほら、あそこの。あの工房のとこの瓶のやつ、俺一番好きな味なんです。瓶もあの色付きの柄が綺麗ですよね」
ジャンヌの周りのもの全てが一瞬消滅したような気がした。青年を除いて。
どれだけの時が過ぎたのか、隣席の職人に声をかけられるまで、ジャンヌには皆目見当がつかなかった。
「あの、ジャンヌさん。手止まってますよ?」
「うそ。やだわ」
ジャンヌが固まっている間、左手の人差し指は作りかけの蓋に押し当てられた形のままになっていたらしい。優美な弧を描くはずだった蓋の一部分が、いびつに平らな辺を成していた。成型の総責任者にあるまじきミスであったが、粘土はほぼ固まりかけていた。水を使って丹念に直そうと思えばできたが、彼女は敢えてそれを直さなかった。
あの言葉だけで、生きていける。ジャンヌはできたばかりの蓋を、瓶と共に次の工程にまわす板の上にゆっくりと置いた。
(おしまい)
以上です!どんな青年くんだったんだろう😊想像はますます膨らむ一方ですが、これくらいにしておきます😁
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