采女伝説の真相に仰天する

昨日、自治会の遠足という予約制のイベントがあり、家族は誰も興味がないと言うので一人で参加してきました。その名も奈良町ミステリーツアー!

参加者はもちろんご町内の住人の老若男女22人が参加するという、予想以上の参加数に驚きましたが、終始和やかにツアーは進行しました。私もめちゃくちゃご近所にお住まいの方に声をかけてたくさん喋ってきました😊🎶なんせ、私が持ってるのと同じ服を着てらしたので、話すきっかけとしては十分でした!

ツアー内容はならまち(おもに元興寺のお膝元の界隈)に点在する神社やお寺を巡るのですが、、、一番私が気になっていたのは猿沢池の采女神社の話でした。

このブログを夏から読まれている方はご存知だと思いますが、7月末に私は福島に一人旅に行きました。その時もブログにて書きましたが、郡山市では8月頭にうねめまつりを行っているとのことで、街中が祭のちょうちん飾りでいっぱいでした。

郡山駅構内にあった祭の縁起を駆け足で読んだ(早くホテルに落ちついてクリームボックスを買いに行きたかったので)のですが、ざっくり斜め読みして、なんや奈良の猿沢池の話に似てるわ〜とだけ感想を抱いて後にしました。…しかしそれはあくまでも斜め読みにすぎませんでした。

よく知られている奈良の采女伝説(采女神社前の看板による)は、以下のようなものです。

奈良時代、帝(文武天皇。大仏を建立した聖武天皇の父)の寵愛が薄れたことを嘆いた采女(全国の豪族から差し出された女性で女官のこと)が猿沢池に入水自殺を図る。采女の死を悲しんだ帝は采女の魂を慰めるために池のほとりに祠を建てるが、池を見るのも嫌がった采女の霊が祠を一夜にしてひっくり返してしまった。だから采女神社の祠は池に背を向けて建っている。

それが、ガイドさんから聞いた説明(後から福島のうねめまつりを検索して調べたら同じ内容でした!)がこちらです。

実は采女(春姫という名前)は福島の安積(現在の郡山市)の豪族の娘で、都(奈良)に上る前に福島に恋人(相思相愛だった許婚らしい!)がいた。都で帝の寵愛を受けながらも恋人(次郎という名前)のことが忘れられず、ある日衣を猿沢池のほとりの木に引っかけて身投げしたように見せかけてこっそり福島に帰る。だが、故郷に帰ると次郎は春姫に逢えないことをはかなんで自殺していた。春姫は次郎と同じ山の井の清水に身を投げる。翌春、山の井の周りには何も知れぬ美しい薄紫の花が咲き乱れるのであった…。

!!!なんという悲恋!帝を偽装工作に嵌めて逃げのびた先で待ち受けていた恋人の死!
ドラマ化、いや、小説化を激しく希望します!!私が勝手にこっそり空想を膨らませて書いてみたいものです😭‼️まだ春姫の家族構成やら次郎の家との関係とかなーんにも考えていませんが!ぜひぜひ手がけてみたい題材だと思いました✨✨✨✨✨

…とまぁ、熱くなってしまいましたが、采女伝説は20年くらい前から知っていて、イラストにも描いてみたい題材だと心惹かれておりました。さながらオフィーリアみたいな?
ですので、こういった形ではっきりとモチベーションになったのは嬉しいことだと思います。

奈良の采女祭には、毎年ミス奈良とミス福島が乗船した船を浮かべ、福島のうねめまつりには奈良市長とミス奈良が招待されているそうです。なんでも奈良市と郡山市は友好姉妹都市なんだとか。伝説でつながる街と街、なんだか素敵ですね😉✨

私は思わず気になって、奈良市の他の友好姉妹都市も奈良市ホームページから調べてしまいました。すると太宰府市、宇佐市、小浜市、多賀城市、西安市、揚州市、慶州市、トレド市、キャンベラ市、そしてベルサイユ市…!出るわ出るわ、日本史世界史好きならピンとくる都市が!個人的には福井県小浜市を外していない(敦賀でもいいんだけどなぁ)ところがグッときました😁古代史の中で、実は北陸日本海側ってめちゃくちゃ重要だったのに資料に残されず抹殺されてきた側面があるという説を、私は以前読んでしまいましたので。。。😅

話が長くなるので今日はこれくらいにしておきます!ごきげんよう〜😆下の写真が例の猿沢池です✨

あしたのパン焼きさん

奈良・西ノ京でオンラインのタロットカード専門店Sweet Magical Card を営んでいます。完全予約制にて対面鑑定も実施中。 文書いたりイラスト描いたりタロットカードで占ってみたりしてますが、実はパンも焼いてます。

0コメント

  • 1000 / 1000