あの時のキッシュを

ありあまるきのこ愛から舞茸のキッシュを作りました!写真だけインスタの投稿内容と被るので恐縮ですが、ここでは過去の旅からの切り口でキッシュについて書きます。

キッシュという料理があることは、1987年から知っていました。えらい具体的なのには理由があって、小学生の時に家の電子レンジを買い替え、その時に付録としてついてきた料理本にキッシュが掲載されていたのです。子どもの頃、かなり頻繁に家の料理本を読み漁っていたので、よく覚えているのです。

しかし、存在を知りつつも家で作らないまま大人になり、キッシュはハード系のパンを置いてるパン屋さんでたまに(しかも高い)買う程度の面識でした。

キッシュ?食べたことあるよ!くらいの認知度のまま、私は2008年の厳冬にフランスをひとり旅します。4回目のフランス、しかも毎週仕事後にフランス語会話教室で習ってからの満を持したひとり旅でした。

ロワール川沿いにTGVで鉄道の旅をして各地の城を見て、最後はパリの行きたいスポット(美術館とグルメ)だけかいつまんで行く、というこだわり1000%の旅だったのですが、その中のナントというブルターニュ地方の大きな街でキッシュを食べたのでした。本当に「寂しい」と思いながら。

その日、昼間にナントのジュール・ヴェルヌ博物館に行ったのですが、そこで私は日本人の青年と入口で一緒になり、たぶんお互いにですが「こんなところで日本人に会うなんて!」と思い、完璧な社交辞令トーク2往復くらいしてそのまま別れたのです。気恥ずかしかったというのが一番強かったのと、自分に自信がなかった(とりあえず一瞬で恋に落ちるような外見ではないと自認していた)のもあり、そのまま何もドラマは発生せずに旅は進行しました。

その夜、夕食を求めて私は百貨店のある大きな通りを歩きました。今の私だったら片っ端から入って食べ飲み尽くしたいような素敵なカフェやブラッスリー、クレープリーがひしめき合っているという、夢のような目抜き通りでした!が、当時の私は28歳というまぁまぁええ歳にも関わらず、度胸がなくて(その日たまたま?パリではちゃんとビストロに入れました)スルーに次ぐスルー。みんな寒いのにテラス席にひしめいてアペロに興じる姿は、一人で歩く私にはよけいに楽しそうに見えました。

そんな中、昼間の青年のことをふと私は思い出しました。まだこの街にいるのだろうか。もし、今歩いていてもう一度会えたら絶対夕ご飯に誘おう。そう決心して私はキョロキョロ辺りを見回しながら歩きました。しかし、その夜、青年の姿は見えませんでした。

私は空腹をどうにかしたかったので、2階がイートインコーナーになっている惣菜屋さんに入り、キッシュロレーヌとサラダ、ガス入り水と白ワインを買って、店内で一人で食べました。

青年に会えなかったことがよけいに私を寂しさの中に突き落としていました。2階の客は私だけ。外の喧騒の音だけが聞こえてくる中、私は冷えたキッシュを黙って食べました。

ホテルでスーパーのチーズやらパテをワインとつまむ時は何を言ってるのかわからないテレビを観ながら独り言を言ったりテレビにツッコミを入れたりするのですが、あいにく外だったので、黙々と夕食を済ますほかありませんでした。

その時のキッシュの冷えた感触が、いまだに私は忘れられません。去年くらいからキッシュは時々土台から作るようになったのですが、あのキッシュを食べた時には10年近く経って自分がアツアツの美味しいキッシュを日常的に作るようになるとは想像もつきませんでした。

あの冷えたキッシュが美味しかったのか、今でははっきり思い出せません。冷たかった食感だけは覚えているのですが。これが、キッシュを作るたびに思い出すエピソードです。

あの青年とあの夜ばったり会っていたら、何か起こったのだろうか?万に一つの可能性もないことに、たまに想いを馳せるのも旅の後にできる愉しい一つの「遊び」だと思います。

下の写真があの時のキッシュです。

あしたのパン焼きさん

奈良・西ノ京でオンラインのタロットカード専門店Sweet Magical Card を営んでいます。完全予約制にて対面鑑定も実施中。 文書いたりイラスト描いたりタロットカードで占ってみたりしてますが、実はパンも焼いてます。

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