桃源郷を行く・17(最終章)
郡山駅のバスターミナルで、私は落ち着かない様子できょろきょろ周囲を見ていました。バスは出発時間ギリギリくらいにバスターミナルに入ってきました。まだ居たかった。後ろ髪を引かれるような気持ちでバスに乗り込み、メイクなどを落としたりしているうちにいつのまにかバスは高速道路に入っていました。
流れる車のテールランプの川はaurora arcのどの曲にも合い、イヤホンをつける耳が珍しくなかなか痛くならないことをいいことに、私はいつまでも音楽を聴き続け、LINEをし、夜を潜行しました。いつまでも。
音楽とともに、手のひらに乗っていた薄くてもろい花びらのようなものが、指の間をすり抜けて崩れ去っていくような、そんな儚さを感じた夜でした。
ほとんど眠りに落ちることなく、着いて迎えた京都の朝。朝か?と思うくらいのねっとりとした暑さが私を包みました。夜行バスで終える旅は、電車で帰ってくる旅とまるで違うと思うのは私だけでしょうか。バスで終える旅は、夢が幻想的に大きく膨らんだ状態のまま、いきなり着いて断ち切られて現実を始めなきゃいけないような錯覚を毎回感じてしまいます。私の思いとはよそに、時間は流れ、セミの大合唱はますます激しくなるばかりです。お土産で膨らんだ鞄を抱いて、私はのろのろとコーヒーが飲める京都駅構内のお店を探して歩きました。
コーヒーを飲める店は朝早すぎて見当たりません。私は代わりにコンビニで白バラコーヒーを買いました。奈良行きの電車で飲みました。もちろんスッキリとした味は普通に美味しかったのですが、酪王カフェオレに慣れた舌にはあの独特の牛乳ならではの微かな甘ったるさが必要で、なんだか物足りない気持ちになるのでした。県外で買えない、とはっきり郡山の大友パン店で言われた言葉が蘇り、なおいっそう切なくなるのでした。
電車内でコーヒーを飲みながら、私は親友からのメールを読みました。今回、今までの旅の顛末を、私は折にふれて彼女にメールで実況中継して報告してきました。それに対する、総括したような返信メール、ーーしかもそこには泣きそうになった、とコメントがあったーーを読んでいるうちに、勝手に涙が後から後から出て目のふちからこぼれ落ちるのでした。やりきった。できる限りのことはやったんだ。私は 汗を拭くフリをして涙で濡れた頬をハンカチで押さえました。
西ノ京の駅から自宅までの道のりは、地元の高校生の行列にまみれて進みます。今いる場所が、出発する前とずいぶん違う場所に見えました。久しぶりのひとり旅でさまざまなことを感じ、自分のものに消化し尽くした2日間。今いる私は、きっと2日昔の自分とは違う。だらだらと続く緩やかな坂道を、なんとか背筋を伸ばして、颯爽と歩こうと心がけました。
最後にタイトルについて触れようと思います。桃源郷というのは、古代中国・魏晋南北朝時代の文学者、陶淵明の作品「桃花源記」を出どころとする言葉です。俗界を離れた他界、仙境ともいい、他には心の奥底に存在するため、行こうとしても再訪できないところとされています。
初めて行く土地、しかも心の底から気に入ったところはその人にとっての桃源郷なのだと私は思います。2回目に行くと、もちろんリピーターならではの楽しみ方ができて面白いと思うのですが、初めて行って見て心が動いた感じを完全に再現することはできません。
福島は私にとって、厳密にいうと今回限りの桃源郷でありました。ですが、行ったのはたかだか2日間という短い行程で行ける範囲のところだけで、表層のうちの僅かな部分をなぞっただけにすぎません。大阪で育った私からは体感したことがないような広大な大地には、きっとまだまだ衝撃的?な発見や出会いがあるのだと思います。
今回、とある街の駅前を見ましたが、それだけでも今まで自分が旅した全ての街のデータベースと比べて全然かぶらないと思いました。それに象徴されるくらい、まだまだここには私の想像を超えたものが沢山潜んでいるのだと思います。
初回の旅で感じた桃源郷は心の奥底にしか存在しませんが、求めて行きたいと思ってしまう、行ったことを思い出してはニヤニヤ楽しい気持ちになる、私にとっては福島(しかも桃の名産地)は現実に行ける桃源郷の一つなのだと思います。現実に行ける桃源郷なので、また行きます!行ったらまたここでリポートします😊🎶
長い長い文章になりましたが、ここまでお付き合いくださいましてありがとうございました。
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